熱量 1枚の絵画が放つLOVE STORY
第1章 黒曜石の砂漠
風輝
雪原のような砂漠から北へ向かう。
バフレイアの黒砂漠は、光が照らす玄武岩が輝く神秘的な景観だ。
〆切に追われひたすら文字を綴ることに疲弊した凛子は旅に出た。
「漆黒の砂漠は神秘的。宇宙のブラックホール、異次元に吸い込まれるようだ。」
カメラマンの言葉のままだった。
カイロから約10時間。本来の目的地である上海に入る。
上海在住のファッションライター奏子と勢いに溢れる上海ファッションウイークの取材だ。
上海の夜はまるで光る宝石箱、夜の街へ繰り出す。
「凛子、上海の新潮流を案内するよ。なんというかクラブとライブのクロスボーダーってとこかな。」
上海の新天地は旧フランス租界の街並みを再現した話題のスポット。最先端のカルチャーが集まる歴史的建造物の地下に、お目当ての「Club悟空」がある。
「代官山と六本木のリミックスって感じでしょう。そろそろライブが始まる。」
「刺激的ね。」
「そう、新潮流のクラシックよ。」
大きな歓声が沸き、ホールにスポットが当たる。漆黒のピアノが浮かび上がる。
演奏者は全身黒、男性。客のお目当ては彼だ。
曲はドボルザークの新世界、クラシック調で始まる。相当のレベルだ。やがてジャズ調にそして最後はロック調に変わる。
「彼いいでしょう。いま上海で大人気のピアニスト。演奏もすごいけど何といってもルックスが最高よー。国籍も年齢も素性も非公表、「風輝・FUKI」って名前の他は謎に包まれている。
凛子も不詳の覆面もの書きね、そういえば。」
彼の演奏は素晴らしく美しい。
いきなりエジプトの黒砂漠に行った。このステージはまるで黒曜石が輝く砂漠。引き込まれるようだ。
2曲目はラプソディ・イン・ブルーで最後はベートーベン運命のアレンジだ。
風輝は観客の拍手と共にステージの奥へ消えた。
興奮と感動で、全身が熱を帯びて顔が火照る。素晴らしい夜だった。
ホテルに戻った凛子はスマートフォンでこっそり録音した風輝の演奏を聴きながら眠りについた。
上海ファッションウイークは、アジア系のクリエイターによる絢爛豪華なファッションショーと展示会が連日開催され、上海の中心部がファッショニスタで溢れる。
凛子は黒曜石のイメージでヨージヤマモトの黒。奏子はサンローランの白で決める。
最も旬な上海ブランドのショーへ。ファッション業界に顔が効く奏子とフロントロウで観覧だ。
上海発信のメンズブランドは流線形のデザインでカッティングも素晴らしい。
そして何よりアジア系のモデルがかっこいいのだ。
「もしかして音楽はピアノの生演奏?」
「レア過ぎる。さすが上海発信ね。」
ステージにピアノが置かれクラシックをアレンジした曲が流れる。
モデルウオークとデザイン、そしてブランドの空気感と音律が一体感を生み出している。
まさに感性を刺激する新しいショータイム。
ショーのエンディング、デザイナーと共に演奏者がステージを歩く。
奏子が興奮している。
「風輝よ。話題のピアニストをキャストするなんてさすが上海ね。旬でいて刺激的。」
上海は新しいコトやモノを生み出すパワーがある。
疲弊した凛子がリセットするには最適な地かもしれない。
「奏子、日本での仕事も片付いたししばらく上海にいるかな。そうそう、風輝の動画をお願いね。」
「あとでカメラマンにデータ送信を依頼する。ここ上海は充電するには最適よ。
それにわたしたちは中国系の血が入っているから。馴染みやすいのよね。」
凛子の祖母は上海出身、奏子の祖父母は台湾出身だ。
そのルーツのおかげか北京語はまあまあ問題ない。それに上海は英語が通じるので仕事もしやすい。
「住まいはとりあえず奏子の部屋でいい?」
「十分な広さがあるから気にしないで。」
「今週はホテルで来週に移動する。ありがとう、謝謝。」
商業ベースの原稿は収入を得るため。この業界も若く、安く、簡単が望まれる。
40代はスキル、ギャラ、年齢すべてが高く、クライアントは年下がほとんどで使いにくいようだ。
余裕もあるのでこれからのライフワークを考えよう。
上海滞在は何かを生み出せるかも。
凛子は久しぶりにパソコンを開く。
Club悟空へ足が向く。混雑しているが、カウンター席に空きを見つけて座る。
刺激的な演奏に負けないように、ドルチェ&ガッバーナのパッションオレンジのブラウスを纏う。
黄金色のモエの刺激が心地よい。
ステージの照明が落とされ、ヴィヴァルディ四季「冬」が・・・。
ヴァイオリンが奏でる厳しい雪や氷の音律とは異なり、ピアノの旋律はやわらかく舞う雪音や氷解する情景が浮かぶ。絶妙なアレンジで艶っぽくセクシーだ。
やがてエレキギターとヴァイオリンが入り、ロック調の力漲る「冬」へと変わる。
凛子は運河の街ベニスの冬を現すこの曲を毎日聴きながら文字を綴ってきた。
奇跡的にここ上海で風輝の「冬」に出逢うなんて。
ステージはまるで玄武岩が創造した「冬」の黒砂漠。
黒曜石の様に漆黒に輝く演奏家が奏でる「冬」。
凛子は血が逆流するような熱量を感じた。
最終章は超絶テクニックによるシンクロで終わる。ここにしかない「冬」に会場は静まり返る。
そして5秒ほど経つと割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
しばらく激しい胸の鼓動と熱で火照る自分を落ち着かせる。
周囲がざわつく。風輝がまっすぐ凛子に向かって歩いてくる。
いや、そんなはずはないと凛子はシャンパングラスを見つめる。
「ここ、いいかな。」風輝が隣に座る。
ええ!!いまなんて・・・・。
同じく英語で「はい。」と答える。
「ありがとう。彼女におかわりと俺にジンライム。」
風輝の纏う空気感が凛子の嗅覚を刺激する。爽やかなムスク香か・・・
10年かけてやっと見つけた俺の初恋。
悟空で再会したとき全身が熱るほどの熱量を感じた。
そしてファッションショーのステージから迷いなく見つけた。
今日の偶然に感謝したい。
「ずっとあなたを待っていた。ここ上海で3回目の偶然に興奮している。」
「なんであなたを知らないわたしが・・・」
「ずっと待っていたんだ。ここで断らないで欲しい。」
「失礼だけど、わたしはあなたよりかなり年上で、外国人でツーリストよ。」
「それが問題なの?さあ行こう。」
風輝は凛子の手を引いて歩き出した。クラブ悟空はいくつものフラッシュが光る。
タクシーに乗り込み上海屈指のデートスポット外灘エリアへ。
上海市内を流れる黄埔江に映る夜景が輝く。
風輝は凛子の腕を掴み、観覧車に乗る。
「黄砂やスモッグで曇る上海も外灘の夜景は自慢できる。」
花火が揚がる。中華風の花火は大きく華やかだ。
「きれい。花火を見下ろすのは初めて。」
観覧車の窓から花火がつかめそう。
「なんでいきなり初対面のわたしを連れだしたの。ひと目惚れとか言ってからかわないで欲しい。」
ずっと逢いたかった彼女と10年ぶりにここ上海で再会できるなんて。覚えていないだろうな。
「視線が捉えた瞬間、身体が熱くなった。そう、血が逆流する感じ。まさに運命だね。あなただけしか見えない。」
黒曜石の瞳に凛子が映る。
さすが音楽家、詩的なセリフが似合う。彼にならからかわれても夢と諦められる。
たった数時間でもこのキラキラは忘れられない。
「連絡先を交換しよう。明日必ず連絡するから無視しないでね。」
凛子は風輝に携帯を渡す。
「登録名は“RIN&FUKI”だよ。」
風輝は凛子の腕を引き寄せ思いきり抱き締めた。爽やかなウッディムスクに包まれる。
夢ならこのまま醒めないで欲しい。
「凛子、なにしたの?SNSのこれ、凛子でしょう。」
「そうみたいね。」
「悟空で撮られたの?それも風輝と…。」
「わたしのことは誰も知らない。」
「このまま収束してくれることを祈るしかない。凛子、すぐにうちに来て。ホテルは危険よ。」
「住所を送ってね。」
やっぱり泡沫の夢だった。翌日になればすべてが現実に戻る。
凛子はチェックアウトを終えタクシーに乗り込んだ。
“RIN&FUKI”携帯はこのままだとまずいかな・・・。
奏子の部屋は、中心街からタクシーで10分ほどの閑静な住宅街だった。
7階建てで地階が駐車場、広いエントランスと庭が美しいマンションだ。
ワンフロア2世帯で人の目に晒されないのがいい。そして広い。
用意された凛子の部屋にはシャワーとクローゼットが完備され完璧。
そういえば奏子の実家は相当な資産家だ。
「奏子、いま着いた。いろいろありがとう。」
「冷蔵庫の物は自由に。SNSはまだまだ炎上、外出は控えて。こっちでの仕事の相談もあるから早めに帰宅する。」